2004年11月13日土曜日

情報をデザインするという事

ちょっと庭作りの話では無いのだが。。。私は一応本業が「デザイン職」となっている。専門は「グラフィックス」と言われる印刷関連を主とした分野で、ここ数年は、デジタル情報機器関連のインターフェイスデザイン(もっと突っ込んで言えばWebのデザインも含む)なぞも手がけたりしている。

最終的形態は違うが、印刷だろうが、Webだろうが、特殊端末だろうが、その根幹を成す部分は同じで、「いかに理解し易く、正確に受け手に情報を手渡すか」を常に考えなければならない。日本語で言う「デザイン」は表面の装飾的な事を施す作業の事を意味しがちだが、英語での本当の意味は「設計する」である。「こうやったら、読み易いかな?理解し易いかな?」と常に考えながら仕事をしなければならないし、又それが癖になっている。

いつもお邪魔させて頂いているTugumiさんのブログで、こんな記事があって改めて「情報をデザインする(設計する)」の重要性を痛感している所である。

人間だから間違うことはあるけど、慣れってこわい。医療事故もこんなことから起こるのだろう。カートリッジやペン本体の色にもっと工夫がなされていれば、間違いは減るのではないかと思った。緑とオレンジとか生やさしい色分けじゃなくて、どっちかを蛍光色にするとか(笑)

デザインの端くれに関わる者としては、このTugumiさんの出会った事をしっかり考えなければならない。もし、彼女が常用しているお薬の摂取形態や、そのパッケージをデザインする人間にもっと想像力があったなら、「色による識別」以外にも「触った時の感触で違いを示唆する」心使いをして当然だったはずだ。
例えば、細かい溝を切るとか、ドットで窪ませたり、逆に突起を作ったり。材質そのものを変えてみたり。その道の専門家ならば、アイデアはわんさか出て来ると思う。薬やカートリッジを明るい場所で識別するとは限らない。むしろ、薄暗い状況の方が多いと考えるのが妥当だろう。

恐らくは、製薬会社がその責任においてパッケージもデザインしているに違い無いはずだが(実際には外部のデザイン会社が作っているとしても)場合によっては人の命に関わる重要な事なのに、今ひとつ「ユーザー調査」の力の入れ方が足りないような気がして、やや疑問に思う。

ここで言うユーザーとは処方箋を書くお医者さんの事では無く、それを実際に手に取って飲む患者の事だ。数年前から「患者に対して薬の内容を説明する事」が義務付けられて、薬局から必ず説明書をもらえるようになった。これは良い事だが、薬そのもののパッケージにもっと心配りが成されるのが本当だろう。(説明書を無くす事だってありうる)

もっと言ってしまえば、大きく成分的に似ている物(製薬会社が違うだけで内容はほぼ同じ)であれば、パッケージにおいて基本的な「規格」を決める方が、実際便利じやないかと思う。(薬剤師さんだって、飲む人だって同じ物だと理解し易い)
例えば、製薬会社ごとにばらばらのパッケージにするよりも、「○○という薬は、基本的にこおいうマークを何処かに配し、形状にはこおいう印をしておく」と言ったガイドラインである。(個人的にはガイドラインってあまり好きでは無いのだが、、でもあった方が便利なケースも沢山ある。

工業界では「規格化」はあまりに「当たり前」過ぎて、今更その有用性をうんぬんするレベルでは無いのだが、近そうで遠い医療の世界では、ひょっとして、その点があまり業界として足並みを揃えようという動きは無いのだろうか?

Webの規格団体であるW3Cという組織が「ウェブ・コンテンツ・アクセシビリティ・ガイドライン」という規格を提唱していて、「出来るだけ情報格差を無くすようにしよう」と呼びかけている。(今期の私の仕事の中にこの規格を深く理解する事が含まれているのだが。。)
その規格の中に「色のみで情報を識別させない」という項目がある。色覚にハンディがある人の為と思われがちだが、最近の解釈はそうでは無く、「状況によるディサビリティ(置かれている状況によっては情報取得に弊害があるという意)」を考えれば、全ての人が「色情報に頼った」識別方法では区別がつかない状況があり得る、というのがもっぱらの解釈だ。

運転中は文字を読む事は出来ないし、暗闇では、物の形を触ってしか判断出来ない。首の座らない赤ん坊を抱いていれば、両手が利かないのと同じと言える。

Tugumiさんの出会った状況は、まさに「アクセシビリティの悪さ」が誘因したと私は思える。
人は必ず間違いをする。勘違いをしたり、思い込んでしまったり、それが「普通」だ。そこを「気を付けましょう」と精神論だけで片付けてしまっては、やがて、同じ事が別の人によって繰り返される。

私も勉強中なので、「これだ!」という解決策は無いのだが、出来るだけ未然に防ぐには、やはり、多くの人が叡智を集めて、システムなり、ルールなりを作って何度も何度もテストして、鍛え上げなくてはならないのだと思う。
彼女の書き込みを読んで、改めて襟をただす気持ちでいる。自分の手がけるデザイン一つ一つにそれだけ重みがあると思って、真剣に取り組まなくては。。。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

tsugumiです。
私も医療関係のメーカーに勤めているので、医療事故を防ぐための手だてとしてのデザイン改良の話は
しょっちゅう耳にします。
ふた昔前は、デザイン担当者に、ユーザーインターフェース上のことから改良を求めた際、
「そんなの無理だ」と取り付く島もなかったという話も聞きました。
デザインを専門にやる人特有のプライドがそうさせるのだろうかと感じたこともありましたが・・・
多くはユーザー=医療従事者であるので、患者さん(エンドユーザー)である場合とはちょっと違うのですが
いずれにしても使う人の立場で製品(デザインを含む)設計を考えなければならない点は同じですよね。

でも、ユーザーの立場で・・・っていうのは、簡単なようで、現実にはなかなか難しいことですよね。
最近、NHKだったかなぁ、企業が顧客からのクレームを表だって活用(?)して、
よりよい商品、他社と差別化できる商品をつくる取り組みをしてる、みたいな話を取り上げていました。
想像力を最大限にして商品開発を、・・・といっても限度はあるのだから、れんこんさんの仰るように
企業が「いかにユーザーの声を汲み上げるか」にもっと力を注ぐべきなのかもしれません。
いい商品が生まれるということは、ユーザーにも企業側にも大きなメリットなのだし。

そして、われわれ患者側のとるべき行動は、たとえ企業からのユーザー調査のルートが確立されていなくても
やはり何らかの方法で、改良を求める意見を伝えていくことなのだ、ということに気づきました。

renkonn さんのコメント...

れんこんです。コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、ちょっと前までは「デザイン=自己表現の場」という混同があった時代もありました。場合によっては、個性的なセンスが必要な時もあるし、それが新しいニーズを喚起するという事もあります。その所の切り分けが上手く出来ないというのは、今でもあったりします。
「俺の作品に口出しするな!」とは一生懸命作っていればいる程、そおいう事がままあったりして、社内でも「評価」をする部隊と「作る」部隊とが連携するのは、上手にマネージメント(或は携わる人が双方の立場を理解する)しないと、不毛な結果になったりもします。
独りよがりな事をしても仕方ないし、さりとて日和見的に「ユーザーの言う事を聞く」ばかりでは、「一本筋の通った何か」の無い骨無しの製品になってしまったりするし。。さじ加減が難しい所です。
でも、常に立ち止まって使う人の事を振り返り、熟考する事は必要だと痛感しています。なかなか難しいんですけどね。