2003年6月26日木曜日

賽が投げられるまで

ふいに舞い込んだ、転属の話し。オファーであるが故に、こちらにも断るという選択権があってややこしい。いっそ、有無を言わさぬ命令であれば、いろいろ楽なのかもしれないと、ちらっと考えた。

「とにかく、先方と話しをするだけしてみたら。自分の目で確かめた方がいいよ」と諭して、水面化で夫は転属の下調べを始めた。

同 じサラリーマンとして、仕事の内容には納得してもらいたいと思う。これが、同じ勤務地内での話しなら、「納得しないならやめちまえ」と言えるのだが、勤務 地が変わるとなれば、話しは別である。本音を言ってしまえば「多少難ありでも家族の為に我慢してくれ」という気持ちもある(決して夫には言わないが)

正式に転属の話しを受けるまで、夫の気持ちは揺れに揺れた。

入社以来ずっと同じ仲間と仕事をし、ある意味では居心地の良い職場なのだろう、私も慣れた職場を捨てられないで、今に至っているのだから、人の事は言えない。
時には激しく、時にはお互いを理解する調子で、よくよく話し合った。

そんな中でふと、女性の方が男性より沢山、切羽詰まった決断をしているのだと気が付いた。夫には言っていないが、私から見れば、「こんな事で悩むなんて甘い!」と思えてしまうのである。

結 婚しようと決意した時、職場の人からは辞めずに通勤すると宣言して驚かれ、第一子を妊娠しても必ず戻って来ると宣言して驚かれ、もうこのまま辞めたいなぁ と思う衝動を必死にこらえて、職場復帰してまた驚かれ、、、そんな局面局面を乗り越えて来たのを思えば、「私だって同じくらい、決断して乗り越えて来たん だぞ」と、思わずにはいられなかった。

あまりストレートに言ってしまうと、相手の行き場を無くしてしまうから、そこはぐっとこらえているが、心の中では
「逆転現象だな」と感じている。いくら口では「理解している」と言っても、実際に今までは夫の方がお気楽で、今度は私がお気楽になる番らしい。

ただ、あまりそればかりでは、フェアじゃないし、ここで一つ打開案が必要だろうと感じて、私としては珍しい一世一代の交換条件を出した。

もし、夫が転属に同意してくれるなら、私は今の部署で目指せるだけ上を目指すと。。。。

昇進にはそんなに関心が無かったし、自分には関係ないとも思っていた。
育休を2度も取っているし、残業は出来ないし、単純に考えれば、そう簡単にキャリアアップはしないだろうとも思っている。
であるが、結果として、今回の転属を受け入れれば、夫が私のキャリアに合わせてくれた事になる。そおいう犠牲を払った以上は、私も何らかの誠意を見せた方が良いと思ったのだ。

この条件提示で、夫の態度はかなり変わった。
元 々、「奥さんは仕事が出来る人なんだ」と自慢したい変な願望の持ち主で、よく「頑張って昇進しろ」とハッパをかけられていた。髪結いの亭主的素質があるら しく、奥さんに稼いでもらって自分は、ぶらぶら、、、というのが夢らしい。(最も、夢だけで勤勉に毎日働いているが)この、ニンジンが一番効いたのか、数 日後、夫は「転勤の意志があります」と正式に先方に返事を返した。

と、こう書くと、転勤の事だけを考えていたように見えるが私が育休中だったのが、良かったのか悪かったのか。。。妻はどんどん、想像の羽根を広げ、どんどん情報集めをし「転勤が決まったらこんな生活」とういう青写真を着々と描いてしまったのである。

夫が気付いた時には、すっかり外堀を埋められ、結局「うん」と言わざる終えない状況だった。

2003年6月25日水曜日

1本の電話

二人目育休も、はや6ヶ月。やっぱり二人目は何かと楽だなぁと思いつつ出来るだけこの時間を有意義に使わなきゃと、以前からやりたかった事にいそいそといそしむ毎日。
おかげで、シフォンケーキを焼く腕は上げたし、やっぱり、気に入らないマンションの台所をこの機会にリフォームしようと思い立ち、業者に見積もり依頼。それも出揃って、ほぼ予算内の希望通り。そろそろ、正式発注しましょうかね。と思っていた矢先。。。
滅多に電話をかけてこない夫が、昼の2時に電話を入れて来た。風邪気味だった7ヶ月の息子の様子を聞いた後、「実はさ。。」と切り出して来た話しが、昔上司だった人から、自分の部署に来ないかという、転属のオファーがあった事だった。

「え〜〜!」青天の霹靂。

プ ロフィールを読んで頂くと判るのだが、私達夫婦は数年の遠距離恋愛の末、夫の勤務地の近くに新居を構え、私は新幹線で都内まで通勤するという生活をずっと 続けている。結婚して5年半、その間に二人の子を出産して今が2度目の育休だが、それ以外の期間は新幹線で通い続けていた事になる。

今回のオファーの勤務地先は私と同じ。

すぐに頭をよぎったのは「あ〜、これで片道2時間の通勤から解放される!」待て待て、舞い上がるなぁ〜、話しはコケるかもしれないのだ、とブレーキをかけようと思っても、やっぱり止まらない。

「よく出来るねぇ」「頑張るねぇ」そお言われつつも、じっと我慢で仕事を続けて来たのは、心の何処かで「いつか、転勤で都内に戻るかもしれない」という淡い期待があったからだ。
夫 は、元々都内の採用で私と同じ会社の同期入社。付き合い始めたのかなぁ〜、という曖昧な時期に部署ごと今の地域に転勤してしまった。遠距離を理由にそれっ きりになってしまうかどうか、そんな感じだったけど、結局、お互いに結婚しようという事になって、私は後から移り住んだ事になる。

結婚後の 転勤では無いから、気持ちは前向きで新しい土地でもそれなりに馴染んで楽しく暮らしている。物価は安いし、特に家賃が安い。子供二人もこの地で産んでアッ トホームな保育園には随分と助けられた。仕事を辞めて、完全に引っ込んでしまうという選択もあったけど、夫がそれには何よりも反対した。
反対するからには手伝いなさいよね!とばかりに、出来るだけ育児参加をさせ、そのおかげで今日まで何とかやって来られたのだと思う。

でも、気持ちの何処かでは、長距離通勤を負担に思っていたし、体に疲労が溜まるのも実感していた。二人目妊娠中は特に辛くて、本当はもう一人欲しいと思っていても、現状の生活では体力的に無理だとも思っていた。

まさに、渡りに舟のタイミングである

た だ、今回の転属先では、夫の職業区分がエンジニアでは無くなってしまう。もちろん、エンジニアとしての知識を買われて、開発と対等に話しが出来る企画ス タッフが欲しいという話しだから、今までのキャリアが全く無になってしまうのでは無いのだが、夫には非常にストレスがかかって来る。
とは言え「この生活をずっと続けるのは無理だよ、どちらかが、どちらかに合わせる時がきっと来るね」と常々話していた。

私 の方が、今までの専門職のキャリアを捨てて、夫と同じ事業所に転属願いを出すか、そお考えた事も何度かあったが、産休育休で仕事にブランクを空けるという ハンディを考えると、簡単に職場を変わる気持ちは、なかなか起きなかった。初めての事は1つで沢山だと思ったのである。

夫と私の根比べで私の勝ちという所か???

今まで、私に負担をかけて来たという負い目がある分、夫も「今回の話しを見送りたい。もうちょっと新幹線で通勤してくれ」とも言い出せず、また、長女は4歳で小学校入学まで1年と少ししかない。教育の事、これから先の事。もろもろを考えると、どうやら決断の時らしい。

こんな背景から、私達の「家を建てるか」ストーリーが始まる。自分達で時期を決めたというより、潮の流れや風向きで自ずと期限が決められてしまった感じだ。