2005年3月29日火曜日

春の園芸シーズン到来

春の到来を機に庭仕事を再開した。向かいの梅林の花が全て散った頃、入れ替わる様に秋に植え込んだ球根類がにょきにょきと芽を出している。

球根達

一番バッターはクロッカスで、まだ寒風吹きすさぶ中、最初に春の息吹を伝えてくれた。次が、期待のチューリップ。去年の夏は残暑が厳しく、長雨も続いたので、最初に植えたグループは殆ど腐ってしまったかと思っていた。追加で同じ場所に植えたのだが、、出て来た芽の数を見ると、最初の物も半数以上は生き残っていたらしい。「おかぁさぁ〜ん!見てみて!ほら!」と最初に芽を発見したのは娘である。霜柱の跡が残る地表に僅か1ミリ程度頭を出しただけだったのに、、、子どもの目は、細かい物を見逃さないように出来ているらしい。

チューリップの葉がまだまだのんびりと20cm程度にしか伸びていないのに、追い抜いてしまったのがラッパ水仙。これは新聞配達店さんが、秋に「球根プレゼント」としてくれた物で、「ここにでも植えておくか」と、花壇の隅に植えておいたのだ。これらが、行儀良く一斉に芽を出し始めている。不思議なのは、どの球も、殆ど同じ速度で伸びていて、遅れたり早かったりするものの差が少ない。水仙の遺伝子には時計でも組み込まれているのだろうか?今一斉に蕾みが付いて、たぶん来週には見頃を迎える。

他の変化としては、球根と同時に、種まきした草花が、元気に生育を始めた事だろうか。乱暴にも、温室とか室内とかに入れてやる事もせず、もう、何の種を巻いたのかも忘れてしまい(ちゃんと「プランツ・プレート(花の名前を書いた札)」を立てていたのだが、全部風で飛ばされてどれがどれだか判らなくなってしまった!)厳冬の間ずっと屋外にさらされていたビニールポットの中では、ぶわぁ〜っと緑が盛り上がっている。花が付いたらハンギングバスケットにしてみようと思っている。

カモミールローン

このブログのどこかに書いたかどうか、、失念してしまったが、花壇以外の土の部分にちょっと特殊な芝を生やそうと鋭意奮闘中である。ハーブには「カモミール(別名:カモマイル、カミツレ)」という種類があるが、これは風邪の諸症状を緩和したり、皮膚疾患や、子どもの腹痛に効能がある。カモミールにはいくつか種類があって、薬用に広く使われるのは「ジャーマン・カモミール」と呼ばれる1年草である。背丈がスラリと高く伸びて、次々と花を付けるそうだ。この品種の種をインターネットで探していた時、偶然「カモミール・ローン」という言葉を発見した。

イギリスのバッキンガム宮殿の中には、有名な「カモミール・ローン」と呼ばれるハーブの芝が繁る一角があるそうで、これは「ローマン・カモミール」と呼ばれ、ジャーマンとは違う品種だそうだ。こちらは、宿根草でしかも、地を這うように根と葉を延ばしてゆくらしい。食用としては苦みがあって不向きだが、小さい花はハーバルバスに使える。

そのバッキンガム宮殿では、石のベンチの座面や足元にまでこの、カモミールを生やし、「沢山踏まれる」ようにしてあるそうだ、沢山踏む事で強くなってより伸びるとか。歩くたびに、林檎に似たフレッシュな香りが昇り立つのが、何とも言えず良いらしい。

これを読んで「絶対これだ!」と思ってしまった。香り立つ芝何て素敵では無いか!今、和室の前の「泥仕事用ワーキングスペース」には西洋芝の出来損ないが、所々まだらになって生えている。去年引越してすぐに、「西洋芝の種」なるものを、2缶(昔の入浴剤の缶程度のサイズがあって、容量は800g程度)バラバラと巻いたものが、ショボショボと生えているのである。芝は丁寧に刈ってやらないと美しい状態には保てないそうであるが、何だか西部劇の荒野のように、所々こんもり盛り上がるように生えているだけだから、手入れも何も、そのままに放っておいた。

芝は空間としては悪く無いのだろうが、雑草に負けるし、すぐにボサボサになって、何だか手が掛る割に魅力が無いなぁと思っていた。香り立つ芝なら、手入れも楽しいでは無いか!

早速、詳しい育成方法も判らないまま、とにかく苗や種を入手しようと、いろいろ探しまわった。園芸店では「ジャーマン」の方がメジャーでローマンはあまり置いていない。折悪しく、冬に向かう季節だったから、在庫が少なくて、方々探しては苗を見つけて買いあさり、夫に頼んでオークションで種を販売している人から、大量に買ってもらった。

本当は春まで待った方が生育も早かったのだろうが、やってみたいと思ったら止まらない。直に地面に種を蒔いてみたり、或は一部を「育苗ポット」の中で育ててみたり。苗は種を蒔き切れなかった所に植えて、、と、とにかく考えつくあらゆる方法で、今「カモミール・ローン」を育成中である。現状チョボチョボと群生を初めている段階で、気温が高くなるに連れて勢力を拡大してくれないかと期待している。

ちなみに、苗の状態で香りを嗅いでみたが、軽く手で触れるだけで本当にいい香りがする!「フレッシュな林檎」とはよく形容したもので、これが「カーペット」のように広がったらさぞや素敵であろう!しかし、道はまだまだ遠い。。。


やって来た林檎の木

そして、前々から約束してあった、西洋林檎の木を実家からもらって来た。枝が天空へ向かって真っすぐ延びるなかなか形のいい木だ。林檎は普通2本以上無いと受粉して実を付けないそうであるが、この品種は1本で大丈夫らしい。小ぶりで実のしまった真っ赤な林檎を去年2〜3個実らせたそうだ。

買って来たはいいけれど、あまり大きくなっても困ると思ったのか、「ルートコントロールバック」という根が延びるのを抑制するフェルト製のバケツに入れ、地中に植えてあった。もう、かなり大きくなっていたので、我が家では一番大きな木である。それ程苦労せずに掘り起こせたが、植え込む時に考えた。

去年、夫が作ったパーゴラの脇にアクセントになるように植えようと考えていたが、このまま、ルートコントロールしておいた方がいいか、それとも、出してもっと根を張らせてやった方がいいか。実を期待するのなら、ある程度根を張らせて、枝を延ばす必要がある。折角だし、二階の窓からも少し木の葉が見えた方がいいと思ったので、バックを外してやる事にした。

スポッと簡単に外れるとは思って居なかったが、ひげ根のいくつかが、このバックを突き破って生えており、結局、バックの方をズタズタに切り裂く事で、根を最大限に残しながら植え付けてやる。大きく膨らんだ木の芽を見るとワクワクする。「林檎の花」ってどんな感じだろう。真っ白に少しピンクがかった感じだろうか。今度は、鳥さんとの取り合いになるかも知れない。

2005年3月26日土曜日

北の住まい設計社のStudy Desk

待ちに待った娘の学習机が来た。2年程前に知った「北の住まい設計社」というメーカーから購入したものである。北海道に工房もショールームもあるの で、実物を見る事は実際に不可能なのだが、その評判の高さと、取り寄せたカタログの家具達の品の良さに惚れ込んで「いつか、新居にこの家具を入れたい」と 思っていた。

今回、娘の小学校入学に合わせて「一生持って歩ける机を」と思い、大奮発して小物を入れるチェストまで付けて発注した。

デ ザインの切り替わり時期とかで、カタログの商品と違う新デザインが出来上がるのが予定よりも押してしまい、間に入ったショールームの営業さんが、ヤキモキ と心配してくれた。10月下旬頃に最初の連絡をしてから、物が納品されるまで、実に5ヶ月かかってしまった。(ちょっとした家が建ってしまう)でも、待た されただけあって、到着した物はプロダクトとして非常に卓越した出来映えだった。

写真では非常にシンプルで割と平凡に見えてしまうかも知れないが、物を目の前にすると、そこに込められた行程の複雑さと熟練の技がふんだんに盛り込まれているのが、すぐにわかる。

一 番驚いたのが、この机全ての表面の「手触り」である。まるで吸い付くように滑らかでその艶やかな感触は、決してウレタンフォームには無いものだというの は、よっぽど見る目が無い人でもすぐに判る。引き出しの底板に至まで、無垢材を使って、「ホゾ組」という技巧を駆使しているそうだ。

娘には 固い「サクラ材(チェリー)」の物にしたのだが、サクラは割と真っ黒い節目が多く、木目の模様も複雑で、一見「触るとゴソゴソしているのでは」と思うのだ が、その予想とは違う感触に、嬉しい驚きを覚えた。もし、娘が机を見たなり一言でも「いらない」と言ったなら、即私専用の机にしてしまおうと思ってい た。。。が、6歳の子でも良い物は判るらしい。もの凄く喜んで、早速、あちこちに散らばっていた、筆記具やら画材、工作材を机に集めて、いそいそとお絵描 きにいそしんでいた。

夫と二人で「ここが一番立派な書斎だ」と羨ましく話あったのは言うまでも無い。2歳の弟は、早速焼きもちを焼いて、この机に座りたがり、今はその端っこを借りて、自分もお絵描きをしている。

ちょっ と贅沢かなぁとも思ったが、机は一生使える。一生ものの机に憧れた私としては、娘に揃えてやれた事をこっそり満足に思っているのだ。ただ、具合の悪い事 に、この「北の住まい設計社」の家具の魅力に触れてしまい、「そのうち、また揃えたいなぁ」とカタログをつらつら眺めてしまっている。もちろん、大散財し た直後なので、当分はその願望はお預けであるが。

2005年3月19日土曜日

ローラアシュレイのベットリネン


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娘がこの春保育園を卒園するので、「何か晴れ着を買おう」と横浜は港北ニュータウンにあるローラアシュレイまで遠征した。近隣にあるお店では「女児服」を扱っておらず、ここが自宅から最も近い取り扱い店だったのだ。

本 来の目的は、お洋服だったのだが、、、目に留まったのが写真の「Kis'sroom用ベットリネン」かっわいい〜〜。思わず本来の目的の洋服よりも大枚を はたいて買ってしまった。。。今まで何となく、平凡だった子供部屋のベットがこれでいっきに華やぐ。ベットにすると、どうしても寝具がそのまま部屋の中の 一部になってしまうし、ベットカバーを使うのが正統なのだろうが、実際問題あれをいちいち掛けている暇が無い。(西洋ではそれがそのまま上掛けになるよう にデザインされているが)

ベットリネン一つでこんなに「それっぽく」なるのかと、今回改めて再認識した。今は、姉弟で仲良くベットを並べて 寝ているが、そのうち、別々の部屋になったら、友柄でお洒落なラグマットも欲しいなぁ。。とか、コーディネイトし始めたらきりがない。いずれ、子どもらは 巣だってしまうのだから、そんなに過保護にする必要は無いと思う反面、幼い頃に五感から受けた影響は、その後の人生において「かっきり」と刷り込まれるだ ろうと思うと、短い子ども時代に、鮮やかな楽しい思い出を残してやりたいとも思って、母はやはり力が入ってしまうのである。

奇跡の梅林

この写真は、我が家の南側に面している梅林を撮影したものである。2月のバレンタインを過ぎた頃から咲き始め約1ヶ月以上もの間、私達家族の目を楽しませてくれている。

この家に引越して丁度1年を迎えたが、去年引越して来た時には、もう花の盛りは過ぎてしまっていた。だから、こんなに花を愛でた記憶が無い。でも、完成間近い建築現場を訪れた時、休憩中の職人さん達が、「みごとな景色で、羨ましいですねぇ」とため息をつきながら誉めてくれた。

新緑の頃から秋口まで、この梅の木達の豊な緑は、まだまだ苗木ばかりで貧弱な我が庭を美しく彩ってくた。まさに格好の「借景」である。他人様の土地で、しかもいつかは宅地にする目的で「梅の木でも植えてとく」程度の扱いである事は明白だ。「いつまでも、これがあると思ってはいけない」と自分に言い聞かせていたものの、僅か1年で、「全て伐採」の危機が訪れようとは思わなかった。

事の起こりは、この梅林の奥にぽつりぽつりと建っていた古い借家の様子に異変が生じた事だった。「お隣」と言っても、これだけの梅林を挟んでいるから、顔がばっちり合ってしまう程近くは無い。「どうも誰か住んでいるらしい」と判る程度で、しばらくは隣人が誰なのか判らなかった。そのうち、高齢の男性が一人最後に残って住まっているのが判ってきた。

この借家も、梅林も同じ地主が持っているのだが、借家の状態がもの凄い。恐らく昭和30年代に盛んに建てられた、平屋2間の小さい家で、3棟あるうちの2棟は既に「廃屋」状態だった。(よくよく探すと、わが町にはまだこのタイプの借家が残っていて、人も住んでいたりする)残りの1棟に「最後の一人」とも言うべき「彼の老人」が居て、近接しているこの梅林の手入れを時々しているらしいなのだ。

きっと、植物の好きな方なのだろう、男性の独り住まいながら、家の玄関口には、小さく花壇を耕してポツリポツリと草木などを植えて、世話もし、出来る範囲で「こざっぱり」しようとする努力が伺えた。

「あのおじいちゃんが健在なうちはこの梅林は安泰だね」等と、不謹慎な冗談を言って夫と笑い合っていた。と言うのも、他の2棟は破れ窓も補修されず、中には不法投棄のゴミが溜まった状態で放置されている。これを見れば、地主は「解体処分」したいと思っているのは明白だ。ただ、最後の住人が出て行かない限り、解体には着手出来ない。(この老人は一番出入り口に近い棟に住んでいて、これを壊さない限り、大型重機械が敷地の奥に入れないのだ)

身勝手な隣人は「あのおじいちゃんには健康で居て欲しいね」などと言っていたが、去年の年末に何やら不穏な動きが目撃され始めた。日頃、子ども達を保育園に迎えに行って、夕方我が家でシッターとして待ってくれている実母が「あの向かいのおじいさん宅に何やら人の出入りがあった」と言うのである。普段は、御戸なう人もなく、ひっそりとしているのに、車が止まって、数人の男性が立ち話をしたり、家の中を出入りしていたらしいのだ。「いや!さては何か!」と私達夫婦が浮き足立ったのは言うまでも無い。

体調を崩して入院でもされたのか!夜、梅林を空かしてみると、以前は灯っていた台所とおぼしきあたりに明かりが無い。何となくソワソワと仕事も手に付かず、翌日も通りからその借家を伺ってみるが、やはりひと気が無い。

しばらく、この状態が続いたある日、「今日、おじいさん引越してしまったようだ」との報告を実母から受けた。見れば、今まで唯一の移動手段だった自転車が姿を消し、ボロ布同然だったカーテンも取り払われて、確かに空き家になっていた。「荷物を運び出している最中に前を通ったんだけど、まあ、家の中は凄いがらくたの山だったわ」と実母は、珍しいものでも見た(実際、珍しかったのだろう)ような口ぶりで話していた。そして、間髪入れず、解体作業が始まった。

聞き込みをさせれば、抜群の情報収集能力を持つ実母は、早速、解体業者から「まだ敷地をどうするのか、知らないんですって、ただ、解体して更地にしてくれと言われているだけらしいわよ。」と第一報を入れてくれた。バリバリ、バリバリ、2歳の息子はこの解体音に怯え、トラックやショベルカーを見ると「バリバリ!」と言って必ず抱きついて来た。一週間半もした頃には、梅林の向こうは綺麗さっぱり借家もゴミも跡形も無くなり、入り口には黄色いテープが貼られて、「シン」と静まりかえった。

そして、刑の執行を待つような心境の中、年末休みに入ってまもなく、この土地の地主さん夫婦とばったり出くわした。普段は離れた隣街に住んでいて、どうゆう事情か、飛び地のようにこの地所を持っている。この敷地は、ざっと見渡しても300坪前後はありそうだ。今は、3分の1強が梅林になっていて、その枝には大きく膨らんだ蕾みを付けている。

「ここ、どうされたんですか?」聞きたく無い質問だが、聞かずにはおれず、口火を切った。何でも、最後に残った1棟の床下が腐ってしまい、水が洩れて住める状態で無くなったそうである。ご老人の健康状態が悪化したのでは無いと聞いて、ひとまずホッと安心した。聞けば、この地主さんはあちこちに借家を持っているらしく、別の借家へ移ってもらったそうだ。当然、どうしようもない借家達は取り壊しをし、新しく4軒1棟(上下2軒づつ)の借家を2棟建てようとしているらしい。「じゃあ、この梅林は。。」地主のご主人は明るく「うん、切っちゃおうと思ってね。」やっぱり。。。

刑が言い渡された瞬間だった。こちらの顔色が変わったのが判ったらしい。「日当たりには配慮しますよ」と慌てて付け加えてくれた。

この土地は、南北に細長く、南と東は高い擁壁に囲まれ、西は全て公道に面している。唯一の隣接地は北側の我が家だけなのだが、普通に考えれば、日当たりを求めて建築基準法目一杯に北へ(つまり我が家方向へ)家を寄せて建てるだろう。一瞬のうちに、目の前の梅林が暗い色の壁に覆われる映像が頭に浮かんだ。

ところが、地主さん曰く集合住宅は、一般住宅とはまた違う消防基準法に縛られていて、必要な避難路を、敷地の中に設けなければならず、パズルのように無理に図面を押し込む事は出来ないそうだ。そうなると、西側の長手方向に沿った形で、2棟並べて建てるつもりらしい。「全室西向き」という、夏場死にそうに暑い物件になるのは明らかだ。「お宅の家の前あたりは駐車場にする予定だから、日当たりは大丈夫ですよ」としきりに言ってくれたが、私は日当たりよりも、梅の木達が不憫でならなかった。

今でこそ、立派な枝振りで目を見張る風景だが、この梅の木達は、彼の老人以外に愛でてもらう人も無く、ひっそりとここまで大きくなっていたのだ。というのも、我が家の敷地の前の持ち主は、この梅林が接する面を、高いブロック塀で覆い隠してしまい、ろくに見ようともしなかった。最も、造成当時はどの梅の木も苗木で見るに値しないと思ったのかも知れない。公道からは高低差があって、この近隣で育った私ですら、ここに梅の林があった事に気が付かなかった。我が家を訪れてくれる人は、敷地内に入って始めて同じ高さでこの梅林を見渡し、感嘆の声を挙げてくれる。折角、盛りを迎えているのに、無惨にも全部伐採されるのかと思うと、暗澹たる気持ちだった。

最も、自分だって家を建ててきっと誰かにそんな落胆や、迷惑をかけているに違いない。遵法通りに建てたとしてもその事が近隣の人の密かな楽しみを奪ったに違いない。だが、「諦めなければならない事」と判っていても、どうしようも無く悲しかった。

もし、この前の敷地が、最初から「砂利敷きの駐車場」であれば、きっともっとサバサバと「車の出入りが減っていい」と歓迎しただろう。罪作りだったのは「みどりなす梅林」だった事だ。上手く言い表せないが、木々には何か心に響くものを発していると思う。1年を通して、この林を見ていると、新緑の頃には一斉に若葉を芽吹かせ、鳥達を呼び、枝もたわわに実を実らせ(この梅の実を分けてもらって実母は梅干しを漬けてくれた)秋には、こちらの庭にも沢山枯葉を落としてくれた。枯葉掃除はそれなりに手間ではあるが、カサコソと軽やかな音を立てる、丸い形の梅の葉は可愛らしく、堆肥にしても早く分解されて真に都合が良かった。そして、楽しみにしていた花の季節を前に、この悲しい知らせである。

地主さんとの立ち話を終え、家に入った後、夫は「ダメかも知れないけど」と飛び出して行った。冗談半分で「もしこの梅林が潰される事があったら、せめてうちに面している1列分だけでも分筆してもらって買おうか」と言っていたのである。もちろん、そんなお金は無い。今組んでいるローンで手一杯なのは明らかなのだ。しかし「言うはタダだ」という根性が夫にはある。言わずに「あの時言ってみれば、、、」と後悔するくらいなら、いち早く行動するタイプなのである。しばらく、地主夫婦と立ち話をした後、「やっぱりダメだとさ」と落胆して帰って来た。ご夫婦には、土地そのものを分譲して手放そうという気は無く、分筆は手続きが大変だと断られたらしい。

やるだけやった、まさに万事休す。

まだ、寒風吹きすさぶ気候だったが、枝の蕾みはますます膨らんでいた。きっとこの花が咲く前に伐採してしまうに違いない。私が地主なら、年度末の需要期までに是が非でも借家は完成させたいと思うだろう。「せめて花が終わってから」などと悠長な事は言っていられない。「今日切られているか、明日切られているか」と帰宅する度に、荒涼と切り株だけが残された無惨な光景を目にするのではと、毎日ビクビクしていた。

ところが、逆転は起きた。奇跡の知らせを持って来てくれたのは、またしても実母である。彼女は私の人生において、重要な情報(最高も最悪)を最初に運んで来てくれる役割である。その日の夕方、子ども達を連れて家に入ろうとしたら、更地になった借家の跡地に「地縄」を張っている若者が居たそうだ。早速彼女は、「この梅はいつ切られるのか」と聞いた所、若者は地縄を張れと言われているのは1棟だけで、そそちらの木については自分は何も言われていない。と答えたらしい。

まさに奇跡だった。翌日には賃貸用アパートの建築内容を公示する看板が立てられ、丁寧に図面まで貼られていた。確かに、敷地に対して1棟しか計画されていない。その後、地主夫婦とお会いする機会が無いので、何故、当初の計画から1棟減らしてしまったのか、その理由は定かでは無い。ひょっとして、後から追加で建てるのかとも思ったが、敷地の都合を考えればそんな計画は現実的では無いのだ。(梅林は公道から直接出入り出来る所は無く、敷地の入り口を塞ぐように今新しいアパートを建てている、同時に工事した方が絶対にコストは安く済むはずなのだ)或は、測量してみた結果、予定していたアパートを2棟は建てられなかったのかも知れない。もし、そうだとしても、梅林を潰して建てた方が日当たりは良いし、余った敷地を駐車場にでもすれば、金儲けにも繋がるのである。

でも、現実にはそうなっていない。夫は「うちに何らかの配慮をしてくれたんだよ」といやに好意的に受け止めているが、今時そんな奇特な人が居るだろうか?真相は、もう少し時を待たねばならないが、少なくとも、地主さんご夫婦に(恐らく、奥さんの方に)「梅の木を切る」事を考え直す何かが働いた事だけは確かだ。


通りから見た梅林
Originally uploaded by renkon

こうして、お隣の梅林はその命を永らえて、今満開である。薄暮の中にぼんやりと輝く一つ一つの花は、桜とは違う風雅な姿だし、夜気に乗って香る梅の香りは何とも言えない。「勝手に入ってはいけない」と子ども達には言ってあるが、低い塀を跨いで、ちょくちょく梅林に遊んでもらっているらしい。(娘は下生えに咲く雑草の花を摘み、息子は風で落ちた梅の細枝を「剣」に見立ててチャンバラごっこに余念が無い)ただ、放っておいては、木も痛んでしまうから、私が出来る範囲で、消毒や剪定のお手伝いが出来ればと思っている。これだけの恩恵を受けている、せめてものご恩返しだ。

気が付いてみれば「我が家からの景観が損なわれる」と言った感じの私の都合というよりも、もっと深い「友に生きているもの同士」という愛着を梅の木達に持ってしまったらしい。