2005年3月19日土曜日

奇跡の梅林

この写真は、我が家の南側に面している梅林を撮影したものである。2月のバレンタインを過ぎた頃から咲き始め約1ヶ月以上もの間、私達家族の目を楽しませてくれている。

この家に引越して丁度1年を迎えたが、去年引越して来た時には、もう花の盛りは過ぎてしまっていた。だから、こんなに花を愛でた記憶が無い。でも、完成間近い建築現場を訪れた時、休憩中の職人さん達が、「みごとな景色で、羨ましいですねぇ」とため息をつきながら誉めてくれた。

新緑の頃から秋口まで、この梅の木達の豊な緑は、まだまだ苗木ばかりで貧弱な我が庭を美しく彩ってくた。まさに格好の「借景」である。他人様の土地で、しかもいつかは宅地にする目的で「梅の木でも植えてとく」程度の扱いである事は明白だ。「いつまでも、これがあると思ってはいけない」と自分に言い聞かせていたものの、僅か1年で、「全て伐採」の危機が訪れようとは思わなかった。

事の起こりは、この梅林の奥にぽつりぽつりと建っていた古い借家の様子に異変が生じた事だった。「お隣」と言っても、これだけの梅林を挟んでいるから、顔がばっちり合ってしまう程近くは無い。「どうも誰か住んでいるらしい」と判る程度で、しばらくは隣人が誰なのか判らなかった。そのうち、高齢の男性が一人最後に残って住まっているのが判ってきた。

この借家も、梅林も同じ地主が持っているのだが、借家の状態がもの凄い。恐らく昭和30年代に盛んに建てられた、平屋2間の小さい家で、3棟あるうちの2棟は既に「廃屋」状態だった。(よくよく探すと、わが町にはまだこのタイプの借家が残っていて、人も住んでいたりする)残りの1棟に「最後の一人」とも言うべき「彼の老人」が居て、近接しているこの梅林の手入れを時々しているらしいなのだ。

きっと、植物の好きな方なのだろう、男性の独り住まいながら、家の玄関口には、小さく花壇を耕してポツリポツリと草木などを植えて、世話もし、出来る範囲で「こざっぱり」しようとする努力が伺えた。

「あのおじいちゃんが健在なうちはこの梅林は安泰だね」等と、不謹慎な冗談を言って夫と笑い合っていた。と言うのも、他の2棟は破れ窓も補修されず、中には不法投棄のゴミが溜まった状態で放置されている。これを見れば、地主は「解体処分」したいと思っているのは明白だ。ただ、最後の住人が出て行かない限り、解体には着手出来ない。(この老人は一番出入り口に近い棟に住んでいて、これを壊さない限り、大型重機械が敷地の奥に入れないのだ)

身勝手な隣人は「あのおじいちゃんには健康で居て欲しいね」などと言っていたが、去年の年末に何やら不穏な動きが目撃され始めた。日頃、子ども達を保育園に迎えに行って、夕方我が家でシッターとして待ってくれている実母が「あの向かいのおじいさん宅に何やら人の出入りがあった」と言うのである。普段は、御戸なう人もなく、ひっそりとしているのに、車が止まって、数人の男性が立ち話をしたり、家の中を出入りしていたらしいのだ。「いや!さては何か!」と私達夫婦が浮き足立ったのは言うまでも無い。

体調を崩して入院でもされたのか!夜、梅林を空かしてみると、以前は灯っていた台所とおぼしきあたりに明かりが無い。何となくソワソワと仕事も手に付かず、翌日も通りからその借家を伺ってみるが、やはりひと気が無い。

しばらく、この状態が続いたある日、「今日、おじいさん引越してしまったようだ」との報告を実母から受けた。見れば、今まで唯一の移動手段だった自転車が姿を消し、ボロ布同然だったカーテンも取り払われて、確かに空き家になっていた。「荷物を運び出している最中に前を通ったんだけど、まあ、家の中は凄いがらくたの山だったわ」と実母は、珍しいものでも見た(実際、珍しかったのだろう)ような口ぶりで話していた。そして、間髪入れず、解体作業が始まった。

聞き込みをさせれば、抜群の情報収集能力を持つ実母は、早速、解体業者から「まだ敷地をどうするのか、知らないんですって、ただ、解体して更地にしてくれと言われているだけらしいわよ。」と第一報を入れてくれた。バリバリ、バリバリ、2歳の息子はこの解体音に怯え、トラックやショベルカーを見ると「バリバリ!」と言って必ず抱きついて来た。一週間半もした頃には、梅林の向こうは綺麗さっぱり借家もゴミも跡形も無くなり、入り口には黄色いテープが貼られて、「シン」と静まりかえった。

そして、刑の執行を待つような心境の中、年末休みに入ってまもなく、この土地の地主さん夫婦とばったり出くわした。普段は離れた隣街に住んでいて、どうゆう事情か、飛び地のようにこの地所を持っている。この敷地は、ざっと見渡しても300坪前後はありそうだ。今は、3分の1強が梅林になっていて、その枝には大きく膨らんだ蕾みを付けている。

「ここ、どうされたんですか?」聞きたく無い質問だが、聞かずにはおれず、口火を切った。何でも、最後に残った1棟の床下が腐ってしまい、水が洩れて住める状態で無くなったそうである。ご老人の健康状態が悪化したのでは無いと聞いて、ひとまずホッと安心した。聞けば、この地主さんはあちこちに借家を持っているらしく、別の借家へ移ってもらったそうだ。当然、どうしようもない借家達は取り壊しをし、新しく4軒1棟(上下2軒づつ)の借家を2棟建てようとしているらしい。「じゃあ、この梅林は。。」地主のご主人は明るく「うん、切っちゃおうと思ってね。」やっぱり。。。

刑が言い渡された瞬間だった。こちらの顔色が変わったのが判ったらしい。「日当たりには配慮しますよ」と慌てて付け加えてくれた。

この土地は、南北に細長く、南と東は高い擁壁に囲まれ、西は全て公道に面している。唯一の隣接地は北側の我が家だけなのだが、普通に考えれば、日当たりを求めて建築基準法目一杯に北へ(つまり我が家方向へ)家を寄せて建てるだろう。一瞬のうちに、目の前の梅林が暗い色の壁に覆われる映像が頭に浮かんだ。

ところが、地主さん曰く集合住宅は、一般住宅とはまた違う消防基準法に縛られていて、必要な避難路を、敷地の中に設けなければならず、パズルのように無理に図面を押し込む事は出来ないそうだ。そうなると、西側の長手方向に沿った形で、2棟並べて建てるつもりらしい。「全室西向き」という、夏場死にそうに暑い物件になるのは明らかだ。「お宅の家の前あたりは駐車場にする予定だから、日当たりは大丈夫ですよ」としきりに言ってくれたが、私は日当たりよりも、梅の木達が不憫でならなかった。

今でこそ、立派な枝振りで目を見張る風景だが、この梅の木達は、彼の老人以外に愛でてもらう人も無く、ひっそりとここまで大きくなっていたのだ。というのも、我が家の敷地の前の持ち主は、この梅林が接する面を、高いブロック塀で覆い隠してしまい、ろくに見ようともしなかった。最も、造成当時はどの梅の木も苗木で見るに値しないと思ったのかも知れない。公道からは高低差があって、この近隣で育った私ですら、ここに梅の林があった事に気が付かなかった。我が家を訪れてくれる人は、敷地内に入って始めて同じ高さでこの梅林を見渡し、感嘆の声を挙げてくれる。折角、盛りを迎えているのに、無惨にも全部伐採されるのかと思うと、暗澹たる気持ちだった。

最も、自分だって家を建ててきっと誰かにそんな落胆や、迷惑をかけているに違いない。遵法通りに建てたとしてもその事が近隣の人の密かな楽しみを奪ったに違いない。だが、「諦めなければならない事」と判っていても、どうしようも無く悲しかった。

もし、この前の敷地が、最初から「砂利敷きの駐車場」であれば、きっともっとサバサバと「車の出入りが減っていい」と歓迎しただろう。罪作りだったのは「みどりなす梅林」だった事だ。上手く言い表せないが、木々には何か心に響くものを発していると思う。1年を通して、この林を見ていると、新緑の頃には一斉に若葉を芽吹かせ、鳥達を呼び、枝もたわわに実を実らせ(この梅の実を分けてもらって実母は梅干しを漬けてくれた)秋には、こちらの庭にも沢山枯葉を落としてくれた。枯葉掃除はそれなりに手間ではあるが、カサコソと軽やかな音を立てる、丸い形の梅の葉は可愛らしく、堆肥にしても早く分解されて真に都合が良かった。そして、楽しみにしていた花の季節を前に、この悲しい知らせである。

地主さんとの立ち話を終え、家に入った後、夫は「ダメかも知れないけど」と飛び出して行った。冗談半分で「もしこの梅林が潰される事があったら、せめてうちに面している1列分だけでも分筆してもらって買おうか」と言っていたのである。もちろん、そんなお金は無い。今組んでいるローンで手一杯なのは明らかなのだ。しかし「言うはタダだ」という根性が夫にはある。言わずに「あの時言ってみれば、、、」と後悔するくらいなら、いち早く行動するタイプなのである。しばらく、地主夫婦と立ち話をした後、「やっぱりダメだとさ」と落胆して帰って来た。ご夫婦には、土地そのものを分譲して手放そうという気は無く、分筆は手続きが大変だと断られたらしい。

やるだけやった、まさに万事休す。

まだ、寒風吹きすさぶ気候だったが、枝の蕾みはますます膨らんでいた。きっとこの花が咲く前に伐採してしまうに違いない。私が地主なら、年度末の需要期までに是が非でも借家は完成させたいと思うだろう。「せめて花が終わってから」などと悠長な事は言っていられない。「今日切られているか、明日切られているか」と帰宅する度に、荒涼と切り株だけが残された無惨な光景を目にするのではと、毎日ビクビクしていた。

ところが、逆転は起きた。奇跡の知らせを持って来てくれたのは、またしても実母である。彼女は私の人生において、重要な情報(最高も最悪)を最初に運んで来てくれる役割である。その日の夕方、子ども達を連れて家に入ろうとしたら、更地になった借家の跡地に「地縄」を張っている若者が居たそうだ。早速彼女は、「この梅はいつ切られるのか」と聞いた所、若者は地縄を張れと言われているのは1棟だけで、そそちらの木については自分は何も言われていない。と答えたらしい。

まさに奇跡だった。翌日には賃貸用アパートの建築内容を公示する看板が立てられ、丁寧に図面まで貼られていた。確かに、敷地に対して1棟しか計画されていない。その後、地主夫婦とお会いする機会が無いので、何故、当初の計画から1棟減らしてしまったのか、その理由は定かでは無い。ひょっとして、後から追加で建てるのかとも思ったが、敷地の都合を考えればそんな計画は現実的では無いのだ。(梅林は公道から直接出入り出来る所は無く、敷地の入り口を塞ぐように今新しいアパートを建てている、同時に工事した方が絶対にコストは安く済むはずなのだ)或は、測量してみた結果、予定していたアパートを2棟は建てられなかったのかも知れない。もし、そうだとしても、梅林を潰して建てた方が日当たりは良いし、余った敷地を駐車場にでもすれば、金儲けにも繋がるのである。

でも、現実にはそうなっていない。夫は「うちに何らかの配慮をしてくれたんだよ」といやに好意的に受け止めているが、今時そんな奇特な人が居るだろうか?真相は、もう少し時を待たねばならないが、少なくとも、地主さんご夫婦に(恐らく、奥さんの方に)「梅の木を切る」事を考え直す何かが働いた事だけは確かだ。


通りから見た梅林
Originally uploaded by renkon

こうして、お隣の梅林はその命を永らえて、今満開である。薄暮の中にぼんやりと輝く一つ一つの花は、桜とは違う風雅な姿だし、夜気に乗って香る梅の香りは何とも言えない。「勝手に入ってはいけない」と子ども達には言ってあるが、低い塀を跨いで、ちょくちょく梅林に遊んでもらっているらしい。(娘は下生えに咲く雑草の花を摘み、息子は風で落ちた梅の細枝を「剣」に見立ててチャンバラごっこに余念が無い)ただ、放っておいては、木も痛んでしまうから、私が出来る範囲で、消毒や剪定のお手伝いが出来ればと思っている。これだけの恩恵を受けている、せめてものご恩返しだ。

気が付いてみれば「我が家からの景観が損なわれる」と言った感じの私の都合というよりも、もっと深い「友に生きているもの同士」という愛着を梅の木達に持ってしまったらしい。

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